タンブラー面白いですよね。
twitter アカウントはこちら。
http://www.twitter.com/hal_sk/

他にもとくに当てはめたい組織はあるのですが、どことは言いませんがあえて避けて、マスコミはどうでしょうか。マスコミは単一の組織とは言えませんが、全体として一つの組織としてみる事は可能かと思います。これも当てはめていくと、結構満たしている点はありそうに思います。たとえば、

  1. 二分的思考とレッテル化

       権威主義的状態とは、思考のあいまいさが過度に排除された状態であるが、組織が権威主義的状態になってくると「賛成か反対か」「○○派か××派か」というように二分法的構文を耳にする頻度が上がる。それにともない、少数派意見に単純なラベルによってレッテルを貼るような行動が増える。

  2. 価値観の反動性・超保守性

       組織の論理とは別に、古い価値観への回帰傾向がしだいに表面化するようになる。口に出すことがはばかられるような古くさい価値観がもっともらしく語られるようになる

この辺なんかはそのままの様な気がします。他にも

  1. 教条の拡大解釈が過剰になる

       個々の論理によって是か非かの意思決定が行われるべき事柄でも、それをすると判断にあいまいさが残り、二分的思考法に合わなくなるので、強引にでも、教条との関連をつけて是か非かをはっきりさせることを好むようになることに由来する。

ここも相当当てはまりそうな気がします。


権威主義ですが、上述した様にどんな組織でも実は内包しています。言い切ってしまえば権威主義があるから組織が出来ている側面があると考えています。組織には権威主義が必要なのですが、権威主義が組織の求心力であるうちはまだ問題にならないのでしょうが、権威主義が組織を支配してしまうと問題になると考えています。

権威を尊重するので組織員になりますが、健全な間は権威に対して誰でも自由にモノを発言できます。これは権威と構成員の関係が上下関係と言え、立場が尊重とか敬意レベルであるからと言い換えても良いと思います。ところが権威が増大し、構成員を圧倒する関係になると無条件の絶対の上下関係になると見ます。

これが末期状態に至ると、

  1. 由緒不明のドグマが聖典化し、絶対化し、ドグマの検証を行うこと自体がタブーとなる
  2. それでも疑問を抱く者は速やかに排除される
  3. 批判者なきドグマは急進化・尖鋭化し、すればするほど構成員は熱狂する

組織といえども社会の一部であるのですが、内部のドグマの独走はやがて社会から遊離し、遊離しても組織の構成員の意識は社会が間違っており、社会こそが組織のドグマに従うのが当然と考える様になります。本当の末期症状は社会から遊離した組織が、社会を攻撃し実害が生じた時ではないかと考えます。