ところで、「予見が当たった」と感じる時、実際には、どこまで正しく事前に予測できていたのだろうか。これに厳密に答えるのはなかなか難しい。たまたま的中してしまっただけかもしれないし、仮に偶然ではなかったとしても、予測の根拠や見積もりがどこまで正確だったかと問いつめられれば、正直、どんなふうに自信があったのか分からなくなる。
例えば、こんな実験がある。
アガサ・クリスティが生涯に何冊の長編小説を書いたかご存じだろうか。よほどコアなファンでなければ答えは知らないだろう。そこで「いくつだと思いますか」と尋ねてみる。すると、平均で51冊という推定値が返答されてくる。
ところで実際には、アガサ・クリスティは66冊の本を書いている。そこで、しばらく時が経ってから、同じ人に正解を伝えたうえで、「あの時、あなたは何冊だと推定しましたか?」と聞いてみる。驚くなかれ、解答の平均値は63冊に増加する。「かつての自分は正解こそしなかったとはいえ、それでも正解に近い解答していた」と思い込んでいるのだ。
これに似た実験結果は多くある。結局のところ、「自分はわりと正しくこの事態を予測していたのだ」と勘違いするクセが私たちにあることが分かる。つまり「やっぱりね」という時の「やっぱり」は、言うほど「やっぱり」ではない可能性もあるわけだ。何とも耳の痛い話である。
こうした認知ミスは「後知恵バイアス」と呼ばれ、日常的に広く見られる。
— 【19】「やっぱりね」と思うのは脳の認知ミス?:NBonline(日経ビジネス オンライン) (via raurublock) (via yuco) (via yaruo)
2009-01-06 (via gkojay) (via mnak) (via do-nothing) (via d-d-d) (via kazu634) (via petapeta) 1 year ago
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