いまの日本で「持続可能」を問題にする意味はなんだろう。もともとこの考えは、70年代のローマクラブの活動の中で生まれた。20世紀の人口増や経済成長は、資源や環境の制約でいずれ限界に達し、破局にいたる。その到来を引き延ばすには「ゼロ成長」しかないというのが、当初の提案。(続く)
(続き)だが、「ゼロ成長論」は先発国のエゴだと途上国が強く反発。そこででてきた妥協論が、破局にはいたらない「持続可能な成長」を目指そうというものだった。しかし、いまの日本は人口は減少局面に入り、経済は事実上のゼロ成長だ。その中で「持続可能」とは、なにを「持続」したいのか?
(続き)シンポジウムで紹介された事例は、人口規模の持続を目標としているものではなかった。むしろ「環境との共生」やひとびとの「つながり」が謳われていた。それはそれで魅力的なのだが、「持続可能な成長」の「成長」の側面はどこにあるのだろう。運動の成長かな。これは帰宅中の反省。